江別の街は大きく3つのブロックに分かれている。その中で、今の「えぽあホール」のある大麻地区は昭和39年、大規模な道営団地入居開始とともに近代的輝きをもって忽然と誕生した。文化志向の強い人たちの入居、音楽が人の心を癒し、子育ての中にもクラシック空間が必要だということを知っている人たちが大勢やってきた。大麻公民館を核に、「ななかまどコンサート」「大麻ファミリーコンサート」など音楽活動が熱心に進められ、えべつ楽友協会誕生の素地がつくられていった。
前史2.住民パワーと理想的ホールの実現
1991年、老朽化し始めた大麻公民館の改築が俎上に上り始めた時、住民たちは真っ先に「音響の良いホール」の実現を唱えた。同年、直に「大麻に文化ホールをつくる会」準備会を発足させた。以後「準備会」の名をはずし、村岡範男氏を代表にした正式な会として、全市的に文化ホール建設運動をくり広げた。
1994年、公民館と文化ホールの新設が決定される。それに伴って、文化ホールをつくる会は、「文化ホールのあり方を考える会」(代表 石田久大氏)へと目的を変え、音楽やホールの専門家を招いた研修会を重ねた。行政はその成果を尊重し、理想的ホールの実現に尽力した。
前史3.「彫刻を贈る会」
一方で、市民の声で新設された文化ホールには市民の心が込められたモニュメントがふさわしいのでは、という声が上がった。江別出身の彫刻家、ハラダ・ミドー氏の作品を贈ることとして、同年12月、「文化ホールに彫刻を贈る会」(代表 畠山俊一)が発足した。32名の実行委員を中心としたバザー、音楽会などの募金活動で目標の1千万円を達成し、3年後の秋には、えぽあホール開館に合わせてハラダ氏の彫刻「FOUR・MEN」の除幕式が行われた。
このパワフルな文化運動は、希有な例として全道に紹介された。「ここで解散するのはいかにも惜しい」という内外からの声に背中を押されるように、翌年「えべつ楽友協会」が設立された。
えべつ楽友協会の誕生
1.「仏つくって魂も入れる」
全国の公共文化施設の悩みは「ハコ」はあるが人が来ない、という現象である。バブルの時代、美術館や音楽ホールがどんどん建てられたが、やがて施設は、建物ではなく、中身(事業、活動)で評価されるということに人々は気づきだす。まさにそんな時代の中、1997年9月7日、設立総会を迎えた。規約には「江別市内の公的施設を根拠として、音楽文化の普及向上のため必要な事業を行い、もって地域社会の文化発展に寄与することを目的とする」とうたった。会計の達人、音楽に詳しい人、医師、教師、組織運営に明るい人など、多士済々36名が正会員となった。会長には堀井常彰が就任した。
2.さらなる公共性、専門性を求めてNPOに
年4、5回のクラシック音楽の公演をめどに実績を重ねてきた。その中には世界有数の女流ピアニスト、アリシア・デ・ラローチャのリサイタルもある。会としては身の丈を越えるという不安の中で決断を迫られた公演でもあったが、その成功は全道各地から一定の評価を得ることとなった。市内では、学校や各施設でしばしば楽器クリニックやコンサートも開催し、音楽愛好者の層も広がってきた。
NPO法が日本で初めて施行されて2年後の2000年、北海道で鑑賞団体としては第一番目にNPO法人として認証された。
3.オペラへの挑戦
音楽のより広い世界を楽しんでもらう、幅広く市民を取り込みたいという願いはオペラへの挑戦へと向かわせた。オペラは魔物と言われる。キャストはもとより、音楽の担当者、舞台に関わるスタッフ、それぞれの指揮監督、装置など大ごととなり、経費も大きくかさむ。地方の小ホールでは、入場料収入でそれらをまかなうことはできない。地方でのオペラ公演がほとんどないのが日本の現状であり、リスクを回避するには、小ホールタイプに編成し直すこと、助成金を受けるといった何らかの手段が必要となる。当協会ではその二つの模索を開始した。「歌劇、その他の公演を企画・制作する」という一文を定款に加え、オペラ「ヘンゼルとグレーテル」に次いで、本会制作第一段として、星出豊監督によるオペラの名作「夕鶴」の公演を成功させ、「カルメン」への駒を進めた。
4.オペラ「カルメン」への冒険
2003年文化庁から助成決定の通知を受けて、「カルメン」の半年にわたる準備作業が始まった。6月、芸術監督コルト・ガーベンとの初めての打ち合わせで、西欧と日本との制作方式の違いに大きなショックを受けながらも、各ポジションに必要な人員は確保され、合唱の練習も開始された。ヨーロッパから芸術監督をはじめ、演出家、ソリスト、ギタリストとダンサーの計8人、東京から舞台監督、合唱、照明、かつら、それに地元北海道から札響メンバー、助演者、合唱、児童合唱、それらをケアするスタッフなど、公演に関わるメンバーは100人を超えた。コンパクトな形式に編曲されたガーベン版「カルメン」は、本場ヨーロッパの薫りを含んだ本格オペラとして、3日間1200人の聴衆を熱気と昂奮に包んだ。

5.組織を改正しながら
創立以来、企画から券売まで自主的に運営するボランティア団体であるというコンセプトに変わりはないが、事業や運営に関する話し合いの場は、時代を追って理事会→運営委員会→運営会議と間口が広がり、現在月1度の定例運営会議には全メンバーの出席が促されている。活動体制については、総務、事業部、公演・研修の5部門となり、2003年、さらに事業・広報・総務の三部制に改正された。2005年、事務局長は大栗一孝から西川勉にかわった。部内の連絡紙として「楽友便り」が通算100号(2005年現在)を数え、また外部向け情報・親睦誌「ひびき」は、16号まで発刊された。
6.時代背景と今後
2000年という大きな節目を越えると、世の中の文化事情はますます厳しくなった。地方でのクラシック音楽の公演がぐんと少なくなってきている。市民活動の盛んな地域は文化も輝き、地方も活性化する。ボランティアの出番である。
道内には150のホールがあり、我々と同じ悩みを抱えている。質の高い公演を開催したいが廉価ではない。高い入場料では人が来ない。では、同じ悩みのホール同士が手を結べば、いくつかの困難がクリアできるかも・・・と、2003年、楽友協会が「各ホールが情報を持ち寄ってノウハウを学ぼう」と呼びかけた。11月には、ネットワークを試案する「文化そして音楽-地域間ネットワークin北海道」と題するフォーラムを江別の開場で開催した。当日はNHK解説委員の田村孝子氏の基調講演をはじめ、道内外の文化活動で実績のある方々を招いたパネルディスカッション、畠山副会長による実践報告と一日日程で熱心に検討された。終了後には、有志の文化ホール同士でネットワーク組織を立ち上げることができた。現在もこの制度は活用され、2005年の「シュトゥットガルト室内楽団」公演など運営の大事な手だてとなっている。
(記 広報部)
